第1回 7畳間から飛び立った170万個の星
(星ナビ2005年1月号に掲載)
新宿にある巨大な新国立劇場で、新しい幕が始まろうとしていた。照明が落ちて暗闇にオーケストラの演奏が響き渡る。そして観客の視界を覆ったのは、降るような星空。まさに数えきれない星の輝きが、演奏と見事に調和し、未だかつてない世界を作り出していた。プラネタリウム投影機「メガスターII」は、まさにこの劇場に星空を降らせていたのだ。
バレエとのコラボレーション。プラネタリウムの新たな活用の地平線がまたひとつ、切り開かれた一瞬だった。
思えばいつの間にか遠いところにきてしまった気がする。小学生のころにプラネタリウム作りに興味を持って、7畳の自室の壁に夜光塗料で壁にオリオン座を描いたのがはじまりだった。それがあまりに嬉しくて、星で部屋を埋め尽くしてプラネタリウム解説員ばりに親や親戚に星空解説を披露していた。今思えばそのときに、天文とモノ作りへの興味、そして人に自分の作った世界を披露する喜びを覚えていたのかもしれない。
それから高校生のころにピンホール式のプラネタリウム1号機、2号機を相次いで完成させた。2球式で、日周と緯度変化の2軸を電動で駆動でき、太陽、朝焼け、夕焼け、昼光といったプラネタリウムの基本機能をほぼ備えた投影機だった。大学生になってレンズ式に挑戦し、4年をかけて開発に成功、自作3号機「アストロライナー」を完成させた。今になってみれば性能的にはとりたててどうという点はないかもしれないが、現在のメガスターを実現する基礎的な部分はほとんどこのアストロライナーで完成したといってもよい。そのくらい重要な作品だった。アストロライナーは、学園祭から始まり、各地で計11回の移動公演を行ったあと解体された。
しかしその技術は4号機「メガスター」になって花開いた。天の川を星の集団で再現すれば投影機がコンパクトになり、今までにないリアルな星空を再現できる。そんな単純な発想が、170万個もの星を再現することになった。7畳間から生まれた星空が、僕自身を、いや、プラネタリウムという言葉そのものを、新しい世界へと運び出していくことになったのだ。