あの人が選ぶ思い出の彗星 ― 関勉さん

天文業界で活躍中の方々に、これまで見てこられた彗星の中からもっとも印象に残っている彗星を取り上げていただき、そのときの思い出を語っていただきました。気になるあの人はどんな彗星を一番思い出深く思っているのでしょうか?

第2回 関勉さんが選んだ思い出の彗星 「池谷・関彗星(1965年) C/1965 S1

(関勉さんが選んだ池谷・関彗星の写真)

撮影日時:
1965年11月6日 5時、露出 120秒
撮影地:
高知県高知市 自宅物干し台上にて
撮影機材等:
アサヒペンタックス 50mm F1.4、Y2フィルタ使用、トライ-X
撮影者コメント:

たくさんのクロイツ属彗星の中で、近日点を通過して生き残れる彗星は極めて少ないと思われる。僅か口径88mmのコメットシーカーで発見した彗星が、20世紀最大の彗星の1つになろうとは夢にも思わなかったのである。

当時高知市の自宅の屋上で観測していた私は、天体写真はやっておらず、もっぱら眼視でホウキ星を追っかけていた。しかし発見から約1か月半後の1965年11月上旬、目の前に巨大な彗星の尾が立ち昇った時、初めて天体写真を思いつき、撮ったのがこの1枚である。当時赤道儀が無かったので、15cmの反射経緯台を北極の方向に倒して物干し台の手すりに固定し、手動で1分間ガイドして撮ったのが生まれて初めての天体写真となった。当時は光害も少なく、遠くの筆山の空にかかる30°に余る曲がった尾が印象的であった。私はこの彗星によって多くの天文の仲間ができた。私の人生での1つのエポックとなった発見であったと思っている。

関 勉(せき つとむ)

1930年高知市生まれ。1950年東亜天文学会に入会し、山本一清氏や本田実氏の指導を受ける。1961年10月、最初の関彗星を発見。1975年東亜天文学会彗星課を主催し今日に至る。1980年五藤斉三氏の寄付によって芸西天文台が完成し、小惑星の発見や周期彗星の検出を主に目標とする。

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