- 中央公論新社
- 新書変型判、444ページ
- ISBN 978-4-12-160110-0
- 価格 2,048円
実は評者は隠れキリシタンである。勤務の関係で安息日に安息できず、義務が果たせないのでそういうことになるのだが、お陰で西洋人への関心は高く、ガリレオオタクなのだ。イタリア国家版「ガリレオ・ガリレイ全集」は持っていないが(同国語が読めないので)、旧訳の文庫版を含め、ガリレオの著書をほとんど所有していることは自慢できる。ただし、本書の旧訳は興味を持って読むことができなかったため、どこかへ行ってしまい、今もって行方不明。理由は簡単、議論が回りくどくて「これって一体自然科学?」と言う具合だったからである。従って、本書の入手にはかなりの抵抗感があった。
ところが新訳の本書は違った。もちろん本文の構成には変化がないが、訳者による注釈が素晴らしいのだ。元々本文400ページ有余の大書、それも「彗星が天体であるか否か」しか書いてない本である。今なら普通数ページで済む内容のものではないか。学生だった大昔は議論の進行が退屈そのものだったのだ。だが、両訳者の素晴らしい注釈(本文数ページごとに1ページ程度)のおかげで完読できた。
本書のあちこちで、ガリレオの科学観を見つめることができる。なかでも次の文章は、みなさんならどう読むだろうか? 「サルシも一度、土の上に唾を吐いてみるのが良いのです。そうすれば他でもなく、その場に太陽光線が反射して本物そっくりに見えるでしょう」。この言葉だけで、ガリレオがオーロラと共に彗星を天体と見なさなかったことがお分かり頂けるだろう。ガリレオが主張する科学的理由は、本書をお読みいただきたい。
本書はガリレオとサルシ(本当はイエズス会の宿敵グラッシ)との論争書である。現在の学会に相当する民主的機関がなかった当時、唯一の手段が本の出版による論争だったことが良く理解できる。望遠鏡による数々の発見から9年も後で、誤った彗星観が主張されたことが重要なのだ。訳者はフッサール命名の「隠蔽の天才」というニックネームを紹介されているが、評者が収集したニックネームに「口喧嘩屋」というのがある。本書におけるサルシとの論争は、それにピッタリだ。その悪口雑言ぶりを楽しむと同時に、これでは裁判所が「こいつ、一度懲らしめなければ」と判断するのが当然に思えるだろう。本書は、その意味で世界天文年にふさわしい名訳書となった。