宮沢賢治といえば、[雨ニモマケズ]『風の又三郎』など誰もが知っている作品が多くある。そして、天文ファンなら必ず挙げる童話が『銀河鉄道の夜』だろう。読破したことがない人でも、「列車が星空のあいだを移動しながら旅をする」というモチーフは知っているはずだ。“銀河”という言葉と“鉄道”という言葉を融合させたことで広がる無限のイマジネーションは、星と星をつないで“星座”を生み出したのと同じくらい画期的な発明だと思う。
宮沢賢治は、1896(明治29)年に岩手県花巻で生まれた。来年が生誕125年だ。農学校の教師を経て、農業私塾「羅須地人協会」で肥料設計や土壌改良などを指導しながら農民芸術の実践を試みる。体調を崩したのち東北砕石工場の技師になるが、持病の結核が悪化し1933(昭和8)年に急性肺炎で亡くなる。彼が残した無数の童話・詩・短歌・メモは、37歳という短い生涯のあいだ常に書きつづっていたもので、生前に出版された作品は少ない。つまり彼は、結果的に「作家」になったのだ。
そんな宮沢賢治が残した作品には、地学用語や表現が多く登場する。『宮沢賢治の地学読本』では、『イギリス海岸』『楢ノ木大学士の野宿』『グスコーブドリの伝記』『風野又三郎』『土神ときつね』にちりばめられた、地史・地質・化石・火山・鉱物・古生物・地震・気象・大気大循環・天文について解説している。上段に童話全文を、下段に単語の説明文と図や写真を掲載。彼の作品世界が単なるユートピアではなく、自然科学の裏付けを持って書かれていることを知るといっそう味わい深い。
では、そのような地学知識を宮沢賢治はどのように得たのか。幼いときから石に興味を持ち「石っこ賢さん」と呼ばれ、岩手山や北上川を何度も歩き、実践として身につけたことが『宮沢賢治の地学実習』を読むとわかる。彼が体験した地学現象をこの本で勉強してから、掲載されている全国の学習施設で追体験するとさらに身につく。
先述した2冊と同シリーズで、地学情報にスポットを当てたのが『宮沢賢治の地学教室』だ。宇宙・地球の内部構造と歴史変動・岩石と鉱物・大気と海洋について、高校地学のレベルでわかりやすく教えてくれる。要所要所に賢治作品が登場し、さらにキャラクターの「ケンジ先生と森の動物たち」が優しく導いてくれるので、文系の人でもきっと楽しく学べる。
今回、宮沢賢治とその作品を科学的に分析した書籍の中で、ひときわ個性的でユニークだと感じたのが『宮沢賢治の元素図鑑』だ。この本によると、賢治作品に登場する元素は45種あるという。それらに“賢治シルエット”の印を付けて元素周期表に並べると、実に壮観だ。本文では、水素から順番に作品の該当箇所が引用され、実物写真や専門家による解説が並ぶ。いままで“言葉”としてとらえていた作中の元素や鉱物が、具体的な色や性質を持って浮かび上がり、作品に輝きを与えてくれる。もちろん、登場しない元素も解説しているので図鑑の役割をしっかり果たしている。
ここまで「宮沢賢治と地学」について書かれた本を紹介してきたが、『賢治がみつめた石と星』は、タイトルが示すように天文分野も含めて解説している。この刊行物は、平塚市博物館が2019年11月から2020年1月に開催した同名特別展の図録で、購入希望者は博物館に問い合わせ在庫があれば入手できる。第1章で作品に登場する石と星について解説、第2章で賢治の自然科学観を紹介、第3章で岩手県(花巻・盛岡)の地形や地質と花巻の文化を取り上げている。どのページも博物館らしいわかりやすい解説と見やすい写真で構成され、子どもから高齢者まで幅広い層の来館者が理解できる丁寧な図録に仕上がっている。
ここからは、『銀河鉄道の夜』にターゲットを絞った書籍を集めてみた。『宮沢賢治『銀河鉄道の夜』と宇宙の旅』は「天文学者が解説する」という副題どおり、銀河天文学・観測的宇宙論を専門とする著者が、同書の天文に関わる部分を読み解いていく。第1章で、賢治の生涯と当時の天文学・物理学について紹介する。彼が『銀河鉄道の夜』を書き始めたのは28歳ごろ、1924(大正13)年の夏以降で、それまでは「天の川が宇宙のすべて」だった。現在のように「天の川は銀河のひとつで、宇宙はもっと広がっている」ことがわかったのは翌年の1925(大正14)年、ハッブルがアンドロメダ銀河の独立を発見してからだ(詳細は後述するが、『銀河鉄道の夜』は長年にわたり何度も推敲され、多くの作品と同じく“未完成”といえる)。私たちはいまプラネタリウムなどで、帯状に見える天の川をぐるりと南半球までたどって一周したり、天の川銀河を飛び出して外からどら焼きのように見たりすることが簡単にできる。作品冒頭で教師がレンズを示して(天の川)銀河の説明をするが、当時の文献から発想するのは容易ではないだろう。また、「幻想第四次の銀河鉄道」という言葉が登場する。アインシュタインが特殊相対性理論を発表したのは賢治が9歳のとき(1905年・明治38年)で、一般相対性理論を完成させたのは20歳のとき(1916年・大正5年)だ。彼が、科学の激変する時代に生きていたことがわかる。第2章で、本格的な天文解説がつづられる。その専門的な分析に、天文ファンならワクワクする。
『[銀河鉄道の夜]フィールド・ノート』も、科学の視点で作品の謎を解いていく解説書。著者が長年にわたり科学ジャーナリストとして受け手(読み手)を意識してきたせいか、前書よりさらに読みやすく、文学ファンならこちらの方が取っつきやすい。そして、一番の違いは「第3次稿までと第4次稿の変化」に注目していることだ。賢治ファンなら知る人が多いが、『銀河鉄道の夜』は初期稿とよばれる第3次稿までにブルカニロ博士という重要人物が登場し、物語の本質に大きく関わる。しかし、最終稿とよばれ広く流布している第4次稿では、この人物がまったく登場せず新しい場面が加えられている。この第4次稿が本となって出版されたのは1970年代以降なので、高齢者のなかには「いまの物語は自分の知っているものと違う」と言う人もいるだろう。なぜこの大幅変更が行われたのか、ブルカニロ博士とは何者で何を伝えたかったのか。著者はモデルと考えられる地を取材し、さまざまな資料を調べ、考えられる説を検証している。まさに「フィールド・ノート」であり、『銀河鉄道の夜』を読み解くテキストといえる。
次の2冊は、賢治作品に登場する現象を実験で再現する様子を紹介した本。著者は金沢で高校の理科教師を長年務め、現在は、地元の金箔を使った実験授業などの活動をしている。賢治ワールドに関わるようになったのは、ある絵本館から「物語に出てくる現象を実験で見せる企画ができないか」と相談されたことがきっかけだった。『実験で楽しむ宮沢賢治 銀河鉄道の夜』では、賢治自身も好きだったチンダル現象で天の川の見え方を再現したり、「水晶の中で小さな火が燃えている」という部分について実際に水晶の摩擦発光を行ったりと、様々な実験を掲載している。同書の実験内容は、科学教育研究協議会が編集する月刊誌『理科教室』でも、今年度4月号から連載している。本文はモノクロだが表紙と目次にカラー写真を掲載。ほかにも、様々な理科の話題が詰まっているので、教師に限らず理科全般に関心がある人は購読すると面白いだろう。
『実験で楽しむ宮沢賢治 サイエンスファンタジーの世界』ではほかの賢治作品についても、化学実験の側面から迫っている。第1部では、詩集『春と修羅』に登場する「真空溶媒」について検証を重ねる。第2部では、『双子の星』や『インドラの網』などの作品について実験している。化学的な角度から作品に迫るユニークな講座は、全国から招聘されている。
今回は、本誌が天文雑誌であることから宮沢賢治の「地学と宇宙」の部分を科学的に解説する書籍を取り上げた。しかし、彼の作品を味わうとき、宗教・音楽・演劇・絵画・動植物・言語(エスペラント語や創作地名)など、様々な面があり、どの入り口からでも賢治ワールドを探訪することができる。「まづもろともにかがやく宇宙の微塵となりて無方の空にちらばらう」
(紹介:原智子)