天文雑誌 星ナビ 連載中 「新天体発見情報」 中野主一

014

101P/チェルニク周期彗星 [2006年5月号からの続き]

2005年7月中旬に、この彗星の主核A核の回帰が再観測されたものの1991年と1992年にかけて観測された副核B核は、この時期(2005年末)になってもまだ再観測されていませんでした。

12月2日夜は22時00分にオフィスに出向いてきました。この夜は美星で11月に行われた小惑星の観測のチェックとJSGA(日本スペースガード協会)のWeb Newsの発行を予定していました。すると、先月号で紹介した大塚氏のメイル「2005 UDの1982年と2001年の発見前の観測が報告されています……」が22時49分に届いたわけです。そこで、この作業を先に行うことにしました。夜半を過ぎて美星の観測のチェックが終了し、12月3日03時13分にそれを観測者に伝えました。そして、北見の円館金氏が11月27日に発見したEx056(=2005 WH56)の近日点軌道を03時20分に氏に送付し、チェッキングの終了した美星と秦野の浅見敦夫氏の観測を03時31分に小惑星センターに送りました。『あとは、Web Newsを発行すると今夜の仕事が終了する……』と思って過ごしていた05時02分、アリゾナのエリック(クリステンセン)から一通のメイルが届きます。

そこには「2005年11月30日UTにカテリナの41-cmシュミットを使用して101Pの副核を捉えた。この核は、102P(主核)の前、北東の方向にあって主核からおよそ21'.5の位置を移動している。下に掲げた11月30日、12月1日、2日の3夜の位置は、カテリナとレモン山で行われたものだ。いずれの夜も天体が彗星状であることを確認している。光度はおよそ17等〜18等級。コマはおよそ15"で北東に少し伸びて、その形状は主核に似ている。なお、IAUC5391(1991)によると、1992年の出現時に見られた副核が生き延びている可能性はほとんどないと記述されている。これらの観測はすでに2日前に小惑星センターに報告した。通常の公表過程を妨げるつもりはないが、中央局からはこれまでに何の連絡もないし、また、MPECやCBETにもまだ掲載されていない。この情報を誰か確認可能な人に連絡してくれないか」と書かれてありました。

さて、すでに本誌2006年5月号に紹介したとおり、主核が再観測されたとき、中央局はMPEC N59(2005)に「IAUC 5347とIAUC 5391で報告された1991年に起きた彗星核の分裂のため、その後の観測しかうまくフィットできない」と公表しています。さらに、その軌道改良には、わずかに34個の観測しか使われていませんでした。そのため、中央局では副核の観測を受けても、これ以上取るべき手段がなかったのでしょう。しかし、本誌同月号に紹介したとおり、この彗星の観測は、1977年8月の発見以後、そのときまでに314個の観測が報告されています。しかも、MPEC N59の記述とは異なり、氷による非重力効果でも1977年以後の全観測が表現できます。ただし、得られた非重力効果はあまりにも大きく、現実的な値であるとは言えません。この彗星の近日点距離がq=2.35 AUと大きいために、彗星の軌道の大半は氷の気化の限界点(2.808 AU)より遠いところにあり、その軌道を周期14年で公転しています。従って、氷による非重力効果より一酸化炭素(CO)による非重力効果の方がもっと有効に働くはずです。そこで、COによる軌道改良を行うと1977年以後の全観測を非重力効果の係数がY1=+0.62、Y2=+0.1009、Y3=−0.55で表現できることがわかります。軌道改良に使用した267個の平均残差は1".17でした。もちろんこのことは、2005年7月13日に中央局に『これがベスト・フィットだ。しかし、氷でも何とか解けるではないか。あんな注釈を書く前にもっと真剣に計算しろよ』と伝えておきました。

Web News No.35を05時57分に発行してから、06時14分に2005 UDの改良軌道を大塚氏に送付し(先月号参照)、この彗星の軌道を改良することにしました。ところで、仮に彗星核が今回の回帰に分裂した場合、その離角は数秒から数十秒くらいのものです。それがエリックの言うように22'も離れている場合、この副核は今回の出現で分裂したものではないことは明らかです。ということは、この副核は1991年に分裂したB核であるという可能性が大きくなります。しかし、1991年〜1993年発行の当時のIAUCには、副核B核の位置観測は掲げられてありません。そのため、まず、試算としてエリックによって観測された副核がこの彗星の以前の出現の主核の観測と結べるかどうかを調べてきました。すると、前回1992年の出現時の主核A核の観測群のいくつかに残差の大きい日付がありますが、1977年/1978年の観測とリンクできます。つまり、前々回1978年の出現時の残差が小さく、分裂の観測された前回1992年の出現時の主核の観測にずれが見られるということは、この核は1992年出現時のB核である可能性が大きくなります。

そこで、これらのことを07時10分にエリックに連絡しました。そして、エリックのこれらの観測と軌道を07時31分にOAA/CSのEMESに『クリステンセンは、11月30日、12月1日、2日の観測から、この彗星の副核らしき天体を見つけました。なお、12月1日の観測はレモン山で行われたもの。その光度は18.0等前後で比較的明るく、これまで101Pを観測したフレーム上にこの天体が写っていることが考えられます。彼は、また、1991年/1992年に観測された副核がこの天体と同定できることを期待しています。副核は、彗星状で北東に流れる15"のコマ、101Pの前、離角21'.5、位置角 55゚の位置を動いているとのことです』というコメントとともに入れ、帰宅は08時00分になりました。

その日(12月3日)の夕方は、頼んでおいた「4 in 1(EX200V)」というDVDレコーダが到着するために少し早めの21時40分にオフィスに出向いてきました。しかし、ときすでに遅しです。オフィスの郵便箱には不在案内がありました。ただ、幸いにも佐川急便でした。ここは深夜でも配達してくれます。そこで、22時に電話を入れ、『何時でもいいから配達してくれるように……』と伝えました。そして、22時12分、最近になってこの彗星を観測している八束の安部裕史氏(観測日は11月3日)、上尾の門田健一氏(同11月5日)、雄踏の和久田俊一氏(同11月24日)にそれぞれのフレームを調べてくれるようにメイルを送りました。さっそく、門田氏からの報告が22時53分に届きます。そこには「101Pを観測した今期の回帰での8夜のフレームを確認しましたが、ずっと20'角ほどを離れて運行していたようですので、残念ながらすべて視野外でした。視野は28'×28'角です」というメイルが届きます。『比較的写野の広いCCDカメラを使用している門田氏のフレームに入っていないということは、ほかの人もちょっとダメか……』と思っていると、23時11分に和久田氏からも「離角が21'ですと、すべてフレームの範囲外です。101Pは13'×17'の写野の中央に写っています」というメイルが届きます。

しかし、門田氏から23時48分に「現在、撮像を続けながら101P-Bを探していますが、やはり写りが良くありません。次の位置にスカイより有意な像があるのですが、これでしょうか? 形状はよくわかりません。まだ、光度は測定していません」というメイルとともに同夜3日夜、23時すぎにこの副核らしき天体を捉え、その2個の観測が届きます。すぐ、今朝ほど計算した軌道からの残差を見ると門田氏の観測は、1".8以内にあり、この副核を捉えていることに間違いありません。そこで、23時57分に『OKだと思います。光度と、もう何フレームか観測してください』と氏に伝え、その後の観測をお願いしました。日が変わった12月4日00時30分になって、この夜のメイン・ジョブであったDVDレコーダを無事受け取ることができました。

さて、この頃までに、1991年から1992年までの間に観測されたA核からのB核の離角と位置角を当時のIAUCから探し出し、それらを球面三角法を使用して正しく赤経と赤緯に変換する作業が終了していました。IAUCには全部で25個の離角と位置角が報告されていました。もちろん、観測を作成したあとは、それらの観測(1991年9月15日〜1992年3月6日)を使用して楕円軌道を決定し、観測が正しいことを確認します。この時期、B核は、A核から約60"の離角がありましたが、すべての観測の残差は、ほぼ1"内に入っています。つまり、変換はうまくいっているようです。そして、1978年出現時の観測、1991年と1992年のB核の観測、2006年のエリックの副核の観測に門田氏の副核の観測を加え、これら3回の出現の観測を結ぶことができるかチェックを行いました。もちろん、最初からCOによる非重力効果を使用してです。結果は問題ありません。すべての観測を綺麗にフィットできました。つまり、この副核はB核という結論になります。非重力効果の係数はY1=+0.37、Y2=−0.1006、Y3=−0.30でした。そこで、この結果をエリックに「B核の再観測、おめでとう」というメイルをつけて連絡しました。01時09分のことです。

ところがです……。01時前から始めていたこの軌道改良の最中に、門田氏からこの副核の別の観測が届いていました。氏から届いた4日01時00分のメイルには「集光の状態と形状はよくわかりせんが、コマの視直径は0'.2です。尾は確認できません。写りが悪く測定は難儀しました。高度が低くなり、これ以上の追跡はできませんでした。今回は、確認していただきましたので、中央局に報告をお願いできますでしょうか? よろしくお願いします」という報告とともに、メイルには、その後に行われた1個の観測がありました。『いけない。メイルをチェックすべきだった』と思いながら、とりあえずは、エリックに送った軌道を今夜の最終軌道としました。門田氏には、01時22分に『クリステンセンらに送ったメイルをご覧になったと思います。ところで、カラムずれがありませんか。us-codeで来るメイルに返信するとUNIX上で受け取ったメイルは、カラムずれを起こすことが多いようです。交換コードをJPに切り替えるのですが……。それを送った直後に、あなたからの新たな観測が届いていることに気づきました。第3番目の観測は、次回にそちらから報告いただけますか。光度だけこれから報告しておきますので……。すみません』とおわびのメイルを送りました。そして、01時25分にダン(ダニエル・グリーン)に門田氏のCCD全光度は、18.1等であったことを報告しておきました。01時31分に門田氏から「測定に手間取って遅くなりお手数をお掛けしました。カラムずれは発生していませんでした。1つだけですが、追加観測として送っておきます」というメイルが届いたあと、01時41分にその門田氏の追加観測が小惑星センターに送付されました。

このページのトップへ戻る

小惑星 2005 XQの発見

その間の01時11分には、北見の円館金氏からも「小惑星の発見観測(Ex057(=2005 XQ))として、第1夜と第2夜と第3夜の観測をともに報告しました。すると、センターから「発見時には2夜の観測のみを報告せよ」というメイルが届きました。しかし、もうすでに3夜の報告をしてしまいました。2夜目の確認ができなかったために、再度、今夜観測して確認したものを一緒に報告したのですが、どうなりますか? 再度、2夜の報告をするべきでしょうか? お手数ですが教えて下さい」という質問が届いていました。そこで、02時05分に氏には『センターの自動受け取りは、発見報告が3夜以上の観測で構成された場合、受け取りません(別のファイルに入ります)。このため、たとえ3夜の観測があっても、1夜を省いて、2夜の観測で送らないと、仮符号登録のファイルに入らず、仮符号登録を行いません。従って、もう一度、2夜の観測で送りなおすのが賢明です。Subjectに「Send again」とか、何とか書いてです』と答えておきました。一般には、発見者は2夜より3夜の観測をセンターに報告することが天体発見の信頼性が向上すると思いがちです。しかし、新天体を発見、確認して、3夜以上の観測を報告したから「もう、絶対、大丈夫だ」と、みなさんも思ってはいけません。発見観測は、必ず2夜のみにして送ってください。

02時15分には、門田氏から「101P-Bに関して今夜の対応は終了です。見事な連結軌道と残差、ありがとうございます。大変参考になりました。かなり離れて運行していましたので驚きました。もし、主核の視野内に存在した場合、こちらで気がついたかどうかですが、18等級と暗かったため主核の近傍でなければ見つけることは困難だったでしょう」という連絡があります。

また、円館氏からは、02時20分に「アドバイスありがとうございました。再度、Ex057の報告を致しました。2夜の報告するか、3夜の報告を一度にするかと迷ったの私のミスです。ご迷惑をお掛けしました」というメイルが届きました。そこで、もう一度、氏の観測を見ました。すると、発見日の12月1日の発見第1夜には3個の観測、第3夜には観測は3個がありますが、第2夜の12月2日には1個の観測しかありません。とっさに『これは、いけない!』と思って、02時23分に『うっ……、うっかりしていました。12月1日と2日の観測をセットで送りましたか? この場合、第2夜目に複数の観測がないために仮符号登録の対象となりません。もし、1日たっても仮符号の連絡がないときは、第1夜と第3夜のセットで送りなおしてください。なお、第3夜目(この場合は第2夜目)の観測を送るのは仮符号がわかってからとなります。それまでに送ってしまうと、1夜のみの観測として削除され、別ファイルに入ります』というメイルを送っておきました。何事につけても、観測群を良く見てから返答しなければいけないということでしょうか……。

この夜のあとの出来事は先月号で紹介しました。この夜は、JSGA Web News No.36とNo.37を発行し、05時35分に101Pの副核の軌道を『昨日、クリステンセンから報告があった101Pのそばを動く天体は、1991年〜1992年にかけて、観測されたB核であることが判明しました。次の軌道は、1978年から2005年の観測と1991年/1992年のB核の観測を結んだものです。なお、12月3日に上尾の門田健一氏によってこの天体は観測され、氏はそのCCD全光度を18.1等と報告しています。主核の観測には、NK1188、YC2478、HICQ2006にある軌道を使用してください。これらの軌道からの予報位置は、現在、数秒のずれがありますが、2つの核は22'ほど離れているため、下の軌道からの予報位置と、十分区別ができます』という注釈をつけてEMESで仲間に知らせました。

その日の夜(12月4日)は、この冬一番の寒波がやってきました。19時05分に自宅を出て、南淡路まで買い物に出かけ、21時40分にオフィスに出向いてきました。このとき、外気温は6℃まで下がっていました。すると「中野さんの指摘どおり、これ(2夜目の観測が1個)で送ってしまいました。また、メイルが返信されてきました。何で受けつけないのかがわからず悩んでいましたが、データ不足扱いにされるのですね。勉強になりました。今、再度データを送り直しました。3度も送り直しても問題ないですか? 心配です。色々とアドバイスありがとうございました」というメイルが4日14時48分に届いていました。そこで『大丈夫です。ただし、もしこの天体が仮符号が取れたあとのことですが、削除した観測の入っているファイルを処理するときに、括弧つきの仮符号が、再度、届くときがあります。これは、無視してください』と返答を送っておきました。すると、氏から22時32分に「ホッとしました。今夜はゆっくり寝られます。これからミスをしないように心がけます。色々とお手数をお掛けしました。ありがとうございます」というメイルが届きます。

この夜の帰宅時、寒波はさらに強くなり、外気温は3℃まで下がっていました。なお、12月7日朝には、以前のカテリナでのフレーム上にB核が写っていないかを調べたようです。しかし「カテリナで行われていた9月14日、10月5日、11月3日等のフレーム上には、B核の姿は見られなかった」というメイルが届きます。12月14日朝には、その後の追跡観測を加えて改良した主核A核と副核B核の軌道を中央局とエリックらに送っておきました。

このページのトップへ戻る