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超新星 SN 2008ip in NGC 4846
新年が明けてまもない2009年1月1日早朝のことです。新年の初仕事として、数日前に芸西の関勉氏と上尾の門田健一氏から、それぞれ12月27日と28日の観測が報告されていたボアッティーニ新周期彗星(2008 Y1)の彗星の軌道を改良し、03時38分にOAA/CSに入れました。門田氏のCCD全光度は18.0等でした。なお、確認段階で守山の井狩康一氏の観測(12月23日)が報告されていました。この彗星は、ボアッティーニが2008年12月22日にカテリナ・スカイサーベイの68-cmシュミットを使用して、みずがめ座を撮影した捜索フレームに発見した17等級の新彗星で、発見当時、彗星には集光した10゚のコマと東北東に20゚の尾が見られています。その朝、九州の椛島冨士夫氏から「新年あけましておめでとうございます。迷惑かけますが今年もよろしくお願いします。ところで、2008年に銀河系内ノバ6個目の世界新記録発見はできず、1991年の1年間に5個の新星を発見したCamilleri 氏(豪)に並ぶ17年ぶりの世界タイ記録に終わりました。できれば、今年は世界新をめざしたいと思います。さて、「星ナビ」の新天体発見情報へ、さそり座新星V1309 Sco(2008年9月2日発見;2009年4月号参照)を書かれる時、世界タイ記録とか、少々ど派手に書いてください」という挨拶が届いていました。『ずうずうしい。何を勝手なことを言っている……』と思いながらそのメイルを読みました。07時26分には、門田氏より「明け方の低空にあるP/2008 X4(=210P/Christensen)を12月30日に捉え、翌31日にこれを確認した」という報告が届きます。しかし、氏の観測の処理はこの夜に行うことにして08時10分に帰宅をしました。大みそかは散歩している姿を見かけていたのですが、毎年なら元旦に迎えてくれる犬ちゃんの姿はありませんでした。
その元旦の夜のことです。松戸の太田原明氏からいただいた映画「プリティプリンセス」を見ていたときのできごとです。00時54分、携帯が鳴ります。群馬の小林隆男氏からです。『新年のご挨拶か……。ご丁寧に……』と思いながら電話に出ました。すると、氏は「超新星を見つけました」と話します。私は『何に、まだそんなことをやっているのですか。もうやめたのではなかったのか……』とたずねました。氏は「はい。ちょっとやっています」と言います。『それではこれからオフィスに出向くので、発見報告を送っておいてくれ』と伝えました。すると、氏は「今、送っておきました」とのことでした。映画を途中で終了し、出発の準備をして01時25分にオフィスに出向いてきました。そのとき、空には少し晴れ間がありました。
小林氏の報告は1月2日00時49分に届いていました。そこには「いつもお世話になっております。2009年1月1日03時頃に41-cm f/4.3反射望遠鏡+CCDでりょうけん座にあるNGC 4846(=UGC 8079)を撮影した画像に、15.7等の超新星らしき天体(PSN)を発見しましたので報告いたします。今夜は薄曇りですが、1月2日深夜、00時03分にこの天体はかろうじて認識でき、実在すること、および移動していないことを確認しました。1月1日の極限等級は18.5等、1月2日のそれは17.0等です。NGC 4846は、過去に3回(2003年2月27日、2004年1月1日、2006年1月2日、極限等級はいずれも18.5等級)、同じ機材で撮影していますが、この天体はありません。また、CBAT Unconfirmed Observations Page、および、List of Supernovaeのサイトは確認しています。1日と2日の位置、および1日の画像から測定したNGC 4846の銀河核の位置は以下のとおりです」とその発見が報告されていました。その発見報告を見て、01時47分に小林氏に連絡を取ってその内容を確認しました。そして、氏の発見を01時33分に中央局のダン(グリーン)に連絡しました。
小林氏からは、01時45分に「素早いご対応ありがとうございます。2003年2月27日の画像と2008年12月31日の画像を添付いたします。こちらの天候は薄曇りから本曇りに変わりつつあります。今は1等星も見えなくなってしまいました。もう少し待機します」という返信が届きます。氏の送ってきた画像を見ました。15等級の発見光度というと、超新星にしては明るい光度ですが、その星は銀河の東の渦巻の外に可愛く輝いていました。氏の画像は、その確認のために02時13分に山形と上尾にも送付しておきました。すると、門田氏より02時22分に「こちらは先ほどから曇ってきました。晴れ間が少し見られるのでしばらく待機してみます」という連絡があります。『そうだろうなぁ……。群馬が曇ってしまったのだから、上尾も今夜はだめかもしれない……』と思いながらしばらく待つことにしました。
ところで、この日の夕方19時47分には、門田氏より「家族と出かけていました。疲れて帰って一眠りして先ほど起きました。1月1日10時07分到着のMPEC A01(2009)で公表されたP/2008 X4の改良軌道で、夕方の超低空で撮像したフレームを調べてみると、淡い像が写っているようで測定を試みています。後ほど報告しますのでしばらくお待ちください」というメイルとその測定結果が21時18分に届いていました。そこで、氏の観測を加えて連結軌道を計算しました。なお、この彗星はSTEREO−B衛星によって撮影された画像上に見つけられた彗星が、ドイツのメイヤーによって2003年出現のP/2003 K2との同定が指摘されたものです。STEREO衛星に写っていた彗星の位置は、観測期間約1か月から計算された予報軌道(NK 971)から、赤経方向にΔα=−52゚、赤緯方向にΔδ=+22゚と大きくずれ、近日点通過時刻への補正値はΔT=−19.9日もありました。門田氏の観測は、12月にSTEREO衛星の画像に写っていた概測位置と2003年の観測を連結した連結軌道より、赤経方向に+109゚、赤緯方向に−21゚のずれがありました。なお、彗星は、ここしばらくは観測が難しいと思われていました。そのため、この時点で地上からの観測は門田氏の観測以外報告されていませんでした。計算された連結軌道では門田氏の12月14日の観測も正しくこの彗星を捉えていることがわかります。
その計算が終わった頃、1月2日03時13分に門田氏から「PSNを02時40分に確認しました。以下の位置に恒星像が存在します。全天の大部分が曇ってきましたが、運良く東の空に晴れ間が見られました。光度は15.6等です。撮影機材は25-cm f/5.0反射+CCDです。位置はGSC-ACT、光度はTycho-2(V等級)で測定しました。極限等級は18.4等でした」という報告が届きます。『やった。第2夜目の確認が取れた』と喜んでいると、その3分後の03時16分には、山形の板垣公一氏からも「明けましておめでとうございます。PSNは確実に存在します。30-cm f/7.8反射+CCDで、02時47分に確認しました。光度は15.8等です。極限等級は18.5等級です」という報告が届きました。『30-cm反射? ということは、氏は栃木にいるのか……』と思いながらそのメイルを見ました。さらに、門田氏からは03時29分に「参考までに確認フレーム(Jan. 1.736 UT)のJPEG画像を添付します。PSNは明瞭に写っています」というメイルとともにその確認画像も送られてきました。そこで、両氏の確認観測を03時34分にダンに伝えました。
その日の朝、美星の橋本就安氏から本誌2009年6月号で紹介した櫻井氏の未確認天体(=モルニヤ1-32衛星(1976-006A))の情報が届きます。橋本氏のメイルを読んで『これは、いったい何のことじゃ。櫻井氏の天体……。あいつ、新春の陽気で気でも狂ったか……』と思いましたが、よく考えてみるとはるか昔にそのような調査を依頼したことがありました。『あぁ……、そうだった。昨年9月に……』とようやく思い出し、氏のメイルを読み直し、櫻井氏と門田氏にそのことを連絡しました。後ほど、櫻井氏からはお礼のメイルが届いていました。
小林氏からは、05時25分に「確認観測ありがとうございました。たいへん貴重な時間を私の天体のために費やしていただき感謝の言葉もありません。超新星の発見報告は今回が初めてでした。そのため、中野さんに報告する前に入念なチェックを行ったつもりですが、「誤報では無いか?」と不安で一杯でした。実在する天体で本当に良かったと思っています。今後もご指導よろしくお願いいたします」というお礼状が門田・板垣氏宛に送られていました。板垣氏からは05時54分に「おはようございます。そして、超新星発見おめでとうございます。私の捜索銀河には入っていませんでしたので過去画像はありません。でも銀河から少し離れているから、DSS(Digital Sky Survey)との比較で十分ですね。最大光度に近いIa型に感じます。年をまたいでの発見ですが、昨年の広瀬さんの時のようにSN2008ip になるのでしょうか?おめでとうございました」という返信が戻っていました。
小林氏の発見した超新星の処理が終了したので、門田氏の観測を使用した210Pの連結軌道を1月2日06時16分にOAA/CSに「すでにIAUC 9008に公表されているとおり、上尾の門田健一氏は2008年12月31日明け方の低空の空にこの彗星を捉え、翌1月1日にそれを確認しました。氏のCCD全光度はそれぞれ10.6等と10.5等でした。氏の観測は、12月にSTEREO衛星の画像に写っていた概測位置と2003年の観測を連結した前回のEMESの軌道より、赤経方向に+109゚、赤緯方向に−21゚のずれがありました。門田氏は、MPEC-A01に公表された連結軌道より、氏が12月14日夕方に撮影していた画像上に写っていたこの彗星のイメージを見つけました。このとき、彗星の光度は11等級と報告されています」というコメントをつけて入れました。
小林氏の発見した超新星は、1月2日13時22分到着のCBET 1641に公表されます。そこで、1月3日04時30分になって新年初めての新天体発見情報No.137を報道各社に送りました。本人は、超新星発見でうれしいでしょうが、私には『秘蔵子である彼が超新星の発見なぞ……、軌道計算か、彗星か小惑星の捜索をやってくれれば良いのに……』とちょっとむくれてしまいました。なお、この超新星は、発見時刻的には昨年発見された最後の超新星となるでしょう。ただし、それ以前の過去の発見が報告され、超新星符号はさらに増えることがあります。小林氏は1997年に新周期彗星 P/1997 B1 (Kobayashi)を発見しています(新天体発見情報No.22)。その他にも、日本で最高数となる多数の新小惑星を発見し、その中で約2,500個が番号登録され、氏に命名権があります。また、5個の地球接近小惑星を発見しています。しかし、氏の超新星発見はこれが初めてのことです。
M33に出現した新星 Nova 2009-01a in M33
1月2日22時49分には、上尾の門田健一氏より2日05時45分に行われた210Pの観測が届いていました。氏のCCD全光度は10.6等でした。そこで、この明るさなら私も観測できると、1月3/4日は04時15分に業務を切り上げ、自宅に戻りこの彗星を観測しました。低空にもかかわらず彗星の明るい姿をとらえることができました(天界2009年3月号、裏表紙参照)。彗星のCCD全光度は10.3等でした。その後、15日に11.8等(中野)、16日に11.2等(門田)と観測されていますが、この時期より、彗星は、前回の出現時と同様に急速に減光を始めました。
そんな時期のことでした。1月7日は強く冷え込んだ朝でした。昨年の9月2日以来約4か月ぶりに散髪に出かけ、自宅には10時30分に戻ってきました。『髪の毛が短くなるとこんなにも寒さを感じるものか……』と思ってしまいます。『ということは、毛のない人の冬はもっと寒いのか……』と考えながら帰宅しました。『今夜は寒いから家に居ようか……』と思っていたその夜のことです。23時45分に携帯が鳴ります。九州の西山浩一氏からです。『あれ〜、何か見つけたのかな……』と思って電話に出ると、氏は「M33に新星を発見しました。M33の新星は約4か月ぶりの発見です。すでに報告を送ってあります」と話します。氏には『これから出かけて見てみます』と答え電話を切りました。1月8日00時20分、自宅を出てローソンでその夜の食料を買って、オフィスに出向いてきたのは00時35分のことです。やはり寒い夜でした。
西山・椛島氏の発見報告は1月7日23時13分に届いていました。そこには「2009年1月7日21時51分頃に40-cm f/9.8反射+CCDでさんかく座にあるM33を撮影した9枚の捜索画像上に17.0等の新星を見つけた。極限等級は18.3等。45分の追跡ではこの星には移動が見られない。また、1月2日と3日に撮影した極限等級が19等の画像上にはその姿が見られない」ことが報告されていました。氏らの発見は、1月8日01時57分にダンに送付しました。すると、02時14分に門田氏より「今夜は曇天です。年明けの仕事で少々不調のためそろそろ作業を終えます」というメイルが届きます。『……ということは、この夜は確認できない』と思ってしまいました。同じ夜、03時57分に「この夜にNGC 2765を撮影した捜索画像上に14等級の超新星状天体が見られる」という報告があります。『NGC 2765か……』と思いながら、過去の超新星を調べると、この星は昨年12月2日にすでに17.7等で発見され、CBET 1601で公表されていました。そこで報告者には、04時13分に『これでしょう。発見済みの超新星を必ず調べてから報告してください』という返答を送りました。報告者からは、05時21分に「ご指摘の通りです。正月早々お手数をおかけして申し訳ありませんでした。既知の超新星については、板垣氏から聞いたホームページ「Latest Supernovae」で調べたのですが、やはりあわてていて見落としていました。すみませんでした。いい勉強になりました」というメイルが届きました。その日の朝、07時19分には山形の板垣公一氏からも「おはようございます。観測したいですが山形では何ともなりません。晴れたら観測したいと思います。楽しみです」というメイルが送られてきました。
その夜(1月8/9日)も遅くまで自宅にいました。そして、オフィスに出向いてきたのは、1月9日01時55分になっていました。この夜は、久しぶりに小雨の降る夜でした。『これじゃいくらなんでも九州もダメだろう……』と思って、メイルを見ると、西山・椛島氏から1月8日21時09分に「PN in M33の確認観測」というサブジェクトを持ったメイルが届いていました。『ありゃ…、しまった』と思いながら、それを見ました。そこには「1月8日20時23分にこの星が17.8等で存在することを5枚の画像上で確認しました。極限等級は18.4等でぎりぎりです」と報告されていました。その確認を知った板垣氏からは22時11分に「2夜ともほぼ同じ位置ですね。ということは、銀河系内にある近くの恒星の増光ではなさそうですね」というメイルも届いていました。もちろん、氏らからの報告は03時03分にダンに送付しました。すると、04時46分にダンから「西山・椛島氏が使用しているカタログはどこから引用しているのか」という問い合わせがあります。これで、この問い合わせは2度目のことですが、05時08分にもう一度答えておきました。それを知ったダンはこの発見を05時52分到着のCBET 1659で公表してくれました。
その日の朝、1月9日10時11分にこの発見を知った神戸の野村敏郎氏から1通のメイルが届きます。そこには「M33の新星が出たようですね。年末から観測できていなかったので残念です。最終パトロールが2008年12月26日でした。年が明けてからは曇天や子供の宿題に追われて(笑)、観測に行けませんでした。しょうがないですね。その領域を2008年12月23日(極限等級17.9等)と同26日(同17.7等)に撮影した画像を見ましたが、発見位置には何も写っていませんでした。また頑張ります。それと1週間以上間隔を開けないように注意します」と書かれてありました。何と彼も「M33の新星」をねらっているようです。しかし、優秀な人が軌道計算から遠ざかっていくことは私にとって残念なことです。1月15日になって、西山氏から「ご多忙中すみませんがお知らせとおたずねをいたします。M33 N2009-01aは1月8日に確認観測しましたが、その後悪天もあり観測できませんでした。ところで、CBAT 1659ではいきなりPossibleがとれて、Novaで公表されました。しかし、未確認情報サイトには、1月15日現在、まだ残ったままです。私の知った限りでは、Shafterさんは、スペクトル観測の結果この新星はHe/N型新星であったと発表していますので、未確認情報は消してもよいのではないでしょうか。M33は新天体発見情報の対象になりますか。今後、新天体発見情報は小林隆男さんから出されるのでしょうか」という連絡と問い合わせが届いていました。