歴史に埋もれかけた、宇宙膨張の真の発見者

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【2011年11月14日 HubbleSite

天文学における20世紀最大の発見のひとつ、「宇宙膨張」。一般的にはアメリカのハッブルが最初に発表したとされてきたが、一方で実はそれ以前にベルギーのルメートルが発表していたこともわかっている。この食い違いは、どうやらこの「先の発見者」自身の功名心のなさによるものだったようだ。Mario Livio氏が「ネイチャー」誌に発表した。


ルメートルとアインシュタイン

アルバート・アインシュタイン(右)と並ぶジョルジュ・ルメートル(左)(提供:Historical Image)

「宇宙は全方向に一様に膨張している」 ― この宇宙膨張の発見はエドウィン・ハッブルの功績として一般に知られ、「ハッブル定数」と呼ばれる宇宙の膨張率を求めた論文は1929年に発表されている。2011年のノーベル物理学賞は宇宙の加速膨張の発見に与えられたが、ハッブル自身はノーベル賞を受賞する前に亡くなった。だがハッブルの名はあの「ハッブル宇宙望遠鏡」にしっかりと残っている。

遠い銀河ほど地球から遠ざかる速度が速い、つまり宇宙は膨張しているというハッブルの発見は、銀河までの距離(ハッブル自身の測定)と、それらの銀河が遠ざかる速度(アメリカのヴェスト・スライファーによる測定)をもとになされた。この、銀河までの距離と後退(遠ざかる)速度の比率が、「ハッブル定数」として現在知られているものだ。

しかしこれに先立つこと2年、ベルギーの司祭であり天文学者であったジョルジュ・ルメートルが、ハッブルと同じような結果を既に発表していた。スライファーが測定した赤方偏移(後退速度の指標となる)と、1926年にハッブルが発表した銀河までの距離とを組み合わせた成果である。だがこの発表は、無名の仏語誌「ブリュッセル科学会年報(Annales de la Société Scientifique de Bruxelles)」でのものだったため、ほとんど注目されることはなかった。

しかし、話はここで終わらない。1931年に英国の王立天文学会月報(Monthly Notices of the Royal Astronomical Society)でルメートルの発表の英訳が発表されたが、なんとハッブル定数(と呼ばれるようになったもの)に関連した箇所が削られていたのだ。

この事実は1984年に判明して以来知る人ぞ知る話となり、誰が何の意図で削ったのかということがしばしば憶測の対象になった。月報の編集者が削ったのか、それともハッブルが何か手を加えたのか?

宇宙望遠鏡科学研究所(STScI)のMario Livio氏が英国王立天文学会の書簡記録を調査したところ、ルメートルから月報編集者に宛てた手紙にその答えはあった。なんとルメートル自身が英訳の際に削ったというのだ。この手紙で彼は、「面白くもない、視線速度に関する仮の議論を改めて載せる必要はないと考えた。代わりに過去の引用文献や新しい論文のテーマを載せたほうが良い」と綴っている。

「ルメートルは自分の発見をことさら強調し、自分の成果とするような気持ちは全く持っておらず、1929年にハッブルの結果が出ているので、1931年に自分が先に発見したと同じ話を繰り返す気はなかったのだろう」とLivio氏は結論付けている。

もし歴史がほんの少し違っていたら、私たちは「ルメートル宇宙望遠鏡」の素晴らしい画像を堪能することになっていたのかもしれない。

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