月刊ほんナビ 2024年11月号
📕 「天文切符で乗る「銀河鉄道の夜」」
紹介:原智子(星ナビ2024年11月号掲載)
これまで宮沢賢治の童話や詩・短歌について、多くの研究者や評論家などが様々な論文を発表したり書籍を出版したりしてきた。それ自体とても興味深いのだが、当コーナーでは『銀河鉄道の夜』について天文学の見地から読み解いた本を紹介しよう。そのためにまずは、本家の『銀河鉄道の夜』を読むことから始める。ご存じの通り同作品は賢治を代表する童話で、絵本や単行本、文庫本など様々な形で発刊されている。読んだことのある人もない人もおおよその内容は知っていると思うが、一般的に広まっている話は「最終形」と呼ばれる第4次稿だ(以後の改稿が未確認という意味で、「完成形」ではない)。賢治は、他の作品同様に『銀河鉄道の夜』を何度も書き直している。
そんな第1次~3次稿(初期形)も収録されていて手に取りやすいのが、ちくま文庫の『宮沢賢治全集 7』だ。読み比べるとすぐ、初期形と最終形が大きく違うとわかる。初期形の主要人物であるブルカニロ博士が、最終形にはまったく登場しない。そもそも『銀河鉄道の夜』というタイトルが、初期形にはなかったという。この機会にぜひ、初期形と最終形の両方を読んでみてほしい。
今年4月、放送大学でユニークな講座が開講した(10月からも視聴可)。講座名と同名のテキスト『宮沢賢治と宇宙』は、賢治ファンにも天文ファンにも、多くの学びや気づきを与えてくれる魅力あふれる教科書だ。自然と環境コースの導入科目「初歩からの宇宙の科学('17)」の後継科目だが、太陽系や銀河など宇宙全般の基礎を学ぼうとするとき、単なる科学項目の列挙より賢治作品のキーワードに注目したことで強く心に響き理解が深まる。同書ではあらゆる賢治作品から天文に関連する内容を紹介しているが、当然『銀河鉄道の夜』の項目も多い。とくに最終回(15回)の「『銀河鉄道の夜』に見る賢治の宇宙観」には、賢治の思考と作品の普遍性を感じる。
ここからは、過去に当コーナーで掲載した本の中から『銀河鉄道の夜』に関するものを改めて紹介していく。『宮沢賢治『銀河鉄道の夜』と宇宙の旅』は先述したテキストの著者の一人で講師も務める谷口義明氏が、2020年に出版した書籍。第1章では、賢治が生きた時代の天文学について解説している。エドウィン・ハッブルがアンドロメダ銀河の独立(天の川=宇宙ではないこと)を発見したのは、賢治が『銀河鉄道の夜』を書き始めた翌年(1925年・大正14年)だった。当時の人たちにとって(たとえ専門家でも)、天の川銀河を外から俯瞰して見ることなど容易ではない。また、作中に「幻想第四次の銀河鉄道」という言葉が出てくるが、アインシュタインが四次元時空の考え方に基づいて特殊相対性理論を発表したのは賢治が9歳(1909年・明治38年)で、一般相対性理論を完成させたのは20歳(1916年・大正5年)だ。彼が科学の激変する時代に生きていたことがよくわかる。第2章では、物語に登場する天文ワードについて細かく解析していく。
『賢治と「星」を見る』は、本誌でおなじみの渡部潤一氏が2023年に発刊した読み物。氏も同講座で講師を務めており、優しい語り口から賢治愛が伝わると同時に、科学講座らしからぬ銀河“鉄道”愛も感じる。さて、この本はかつてNHKで放送された科学番組『コズミックフロント(コズミックフロント☆NEXT)』のウェブページで連載された「星空紀行~銀河鉄道の夜汽車に乗って~」(2012年~2021年)を加筆修正したもので、賢治の生い立ちから死までを天文学の視点でたどっている。そのため賢治の人生を語るうえで欠かせない、親友・保坂嘉内との出会いと決別、詩人・草野心平との交流などにもふれている。賢治の人生を把握したうえで、第5章「そして、宇宙へ」(『銀河鉄道の夜』に登場する天文関連語の解説)を読むといっそう味わい深い。
『天文学者とめぐる宮沢賢治の宇宙』も谷口義明氏と渡部潤一氏、さらに畑英利氏の3人が2022年に出版した賢治解説本。畑氏も二人に負けず劣らずの賢治マニアで、イーハトーブの星空を求め岩手県を訪れ天体撮影を続けている。そんな3人がそれぞれの知識や視点から、作品に秘められた謎や信憑性について考察していく。天文好き賢治ファンなら誰もが考えてしまう「賢治の文学的天文表現」について、現役科学者たちが理系的知見により解き明かす。
ここからは、科学者とは少し異なる著者による賢治本を紹介していく。『[銀河鉄道の夜]フィールド・ノート』は、科学ジャーナリストの寺門和夫氏が2013年に出版したもの。科学の視点で作品の謎を解いていくことに変わりないが、ふだんからジャーナリストとして幅広い受け手(読み手)を意識しているせいか天文初心者にも読みやすいように書かれている。そしてこの本で特筆したいのが、初期形に登場するブルカニロ博士に関する記述だ。彼はいったい何者で、ジョバンニに何を伝えたかったのか。著者はモデルと考えられる地を取材し、様々な資料を調べ、考えられる説を検証している。まさに、フィールドノートである。
金沢で高校教師をしていた四ヶ浦弘氏が「楽しく化学に親しんでもらいたい」と思い開催する実験講座の内容をまとめたのが『実験で楽しむ 宮沢賢治 銀河鉄道の夜』。この本は2020年に出版され(当時は現役教師)、翌年には『賢治の描いたサイエンスファンタジー 実験で楽しむ宮沢賢治』も刊行している。ふだんは地元の「金の科学館」で金箔など金属を使った実験を行っているが、賢治作品に関する実験講座はとても人気が高いという。賢治自身も好きだったチンダル現象で天の川の見え方を再現したり、「水晶の中で小さな火が燃えている」という部分について実際に水晶の摩擦発光を行ったりと、様々な実験を掲載している。2021年に出版された改訂版には、実験を動画で見ることのできる二次元コードが追加され、さらに理解しやすくなった。
最後に紹介するのは『宮沢賢治と学ぶ宇宙と地球の科学』から、『1 宇宙と天体』。このシリーズは、高校地学で学ぶ5つのテーマ(宇宙と天体・地球の活動・岩石と鉱物・地層と地史・気象と海洋)について、賢治作品を引用することで文系生徒にも楽しく理解してもらおうと作られた参考書。もちろん、大人が読んでも、わかりやすくて再学習(リカレント教育)に役立つ。最終章の「宇宙関連災害」では「太陽活動と災害」「宇宙からの放射線」「隕石落下」「スペースデブリ」といった、かつては学習しなかった最新テーマもあつかっている。
ここまで『銀河鉄道の夜』を中心に、賢治作品に秘められた事象や思考について、様々な立場から調べた本を紹介してきた。改めて、賢治作品には人を惹きつけてやまない魅力があると感動した。そして今、賢治が中学生のとき弟の清六に言ったという言葉が、100年以上経った我々にも語りかけてくる。「私達は毎日地球という乗物に乗っていつも銀河の中を旅行しているのだ」。