すばる望遠鏡、カシオペヤ座Aを形成した超新星爆発を明らかに

【2008年5月30日 すばる望遠鏡

すばる望遠鏡が超新星残骸カシオペヤ座Aを分光観測し、爆発時に放射した可視光の「こだま」をとらえた。分析の結果、カシオペヤ座Aを形成した超新星爆発は比較的短期間で暗くなるタイプだったことが明らかになった。


(赤外線天文衛星スピッツァーによる波長24μmの赤外線画像)

赤外線天文衛星スピッツァーによる波長24μmの赤外線画像。クリックで拡大(提供:国立天文台)

(カシオペヤ座Aからの光の模式図)

カシオペヤ座Aからの光の模式図。青い矢印は爆発で放たれた可視光、赤い矢印は周辺のちりが放射した赤外線、黄い矢印はちりが反射した可視光。クリックで拡大(提供:NASA/JPL-Caltech/R.Hurt (SSC))

(すばる望遠鏡が観測した可視光Rバンドの画像)

すばる望遠鏡が観測した可視光Rバンドの画像。等高線の内部に見える淡い光がカシオペヤ座Aの可視光の「こだま」。クリックで拡大(提供:国立天文台)

(可視光の「こだま」のスペクトル)

可視光の「こだま」のスペクトル。超新星1993Jとカシオペヤ座Aはきわめてよく一致している。クリックで拡大(提供:国立天文台)

超新星残骸カシオペヤ座Aは1680年頃に爆発を起こしたと推定されるが、これはわれわれの天の川銀河(銀河系)で起きた超新星爆発としては新しいものである。しかし、当時の観測記録ははほとんど残されていない。われわれから11,000光年の距離で起きた大爆発が、なぜ当時の人々に目撃されなかったかは謎とされてきた。

そのカシオペヤ座AをNASAの赤外線天文衛星スピッツァーが2005年に観測したところ、周辺に赤外線を放射する領域が観測され、さらに赤外線を放射している部分が外側へ高速で広がるようすが発見された。

分析の結果、超新星爆発が放射した紫外線や可視光が外側へ広がる際に周囲のちりを次々と暖めた結果、ちりが内側から順に赤外線を放射していることが明らかになった。光の「こだま」と呼ばれる現象である。

光の「こだま」は、音のこだまが起きる原理と同様に、光源から直接届く光よりも遅れて観測される。つまり、カシオペヤ座Aからの光の「こだま」は、2枚目の図に示すように300年遅れて現在の地球に届いた爆発当時の光なのである。

2006年、国立天文台ハワイ観測所の臼田知史准教授と服部尭研究員は、独・米の研究者と共同で、じゅうぶんに強い可視光の「こだま」を探して分光観測するプロジェクトを開始した。そして2007年秋に、分光できそうな「こだま」が届いた。

そして、すばる望遠鏡がその「こだま」の分光観測を2007年10月9日に行った。こだまは予想より2等級以上も暗かった(23.5等)ものの、おおぐま座の銀河M81で1993年に見つかった超新星 1993Jときわめてよく似たスペクトルを示していた。このことから、カシオペヤ座Aのもととなった星は、太陽質量の10倍を超える赤色超巨星であったこと、そしてその生涯の最期にIIb型と呼ばれる超新星爆発を起こしてカシオペヤ座Aを形成したことがはっきりと示された。

IIb型の超新星爆発は比較的短期間で暗くなる特徴がある。その短い期間に居合わせてカシオペヤ座Aを観測した「かもしれない」天文学者が1人だけいる。それは、当時の王室天文官、初代グリニッジ天文台台長であったジョン・フラムスティードだ。彼は1680年、カシオペヤ座Aの方向に、6等星を1つ観測した。その6等星はその後姿を消し、星図から抹消された。フラムスティードの後の天文学者が観測したころには、超新星はすでに暗くなっていたのかもしれない。