星のソムリエ、パリへ行く
第2回 「夜の来ないパリ」

Writer: 廣瀬匠氏

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最近、星を見ていない。「星職人」にあるまじき出だしで恐縮だが、星を見たくても見られない日々が続いているのだ。パリの光害が日本に比べて特にひどいわけではない。東京でも夜になれば見える星はある。ここパリでは夜自体がなかなか訪れないのだ。


ほぼ幻のさそり座

7月6日午後10時過ぎにノートルダム寺院付近にて撮影

7月6日午後10時過ぎにノートルダム寺院付近で撮影。この日の日没時刻は午後9時47分。まだ街灯もついていないが時計の針も標識も問題なく読める。

春から夏にかけてのパリでは、午後9時を過ぎるまで太陽が沈まない。東京であればとっくに薄明(※注1)が終わっている時刻だ。夏至の前後になると午後11時を過ぎても外が明るい。

これには原因が3つほどあるのだが、多くの読者がまず思い付くのは緯度の高さだろう。パリは北緯48.8度ほどで、稚内よりも北にある。北緯35.7度の東京と比べれば、季節による昼夜の長さの変化が大きい。

2014年2月1日午後10時の東京の南の空

2014年2月1日午後10時の東京の南の空(クリックで拡大、以下同)

2014年2月1日午後10時のパリの南の空

2014年2月1日午後10時のパリの南の空

2014年6月1日午前0時の東京の南の星空

2014年6月1日午前0時の東京の南の星空

2014年6月1日午前0時のパリの南の星空

2014年6月1日午前0時のパリの南の星空

緯度の違いは星を観察していてもわかる。今年(2014年)1月に渡仏したときはシリウスが地平線に近いのが印象的だった。オリオン座もよく見ると東京より低いのがわかる。おうし座のプレアデス星団が南中したときに少しだけ天頂から遠い。南半球に行ったときのような劇的な変化(※注2)ではないが、そんなささやかな違いがわかることにちょっとした優越感を感じてしまうのである。

日本でから見ても低空にあるさそり座は、観察すること自体が難しい。アンタレスの高度は日本なら南中時に20〜30度くらいだが、パリだと15度に満たないのだ。高い建物が多い現代のパリではまず見えない。さそりのしっぽの一部はそもそも地平線から上に昇らない。しっぽの先端付近にある散開星団M7は高度9度ほどで、天体カタログを編纂したシャルル・メシエがこれを肉眼でも見ているというのが信じられないほどだ(もちろん彼が活躍した18世紀はそれだけ高い建物が少なく空が暗かったということになるのだが)。

さそり座を観察するときは、夏になかなか夜にならないことも大きな障害となる。ではそもそも、東京とパリとでは夜の長さはどれだけ違うのだろうか。東京における夏至の夜はおよそ9時間半、パリでは8時間弱である。おや、この数字だけを見るとそこまで極端な差はなさそうだ。

子午線問題、再び

前回、グリニッジと本初子午線の座を争ったパリ子午線を話題にしたが、両者の実質的な「時差」は9分21秒である。ところが現在のフランスではグリニッジ標準時間ではなく、それよりも1時間進んだ中央ヨーロッパ時間を採用している。結果的に太陽の位置を基準とした場合と比べて50分以上時刻が進むことになり、日没が遅くなる一因となっているのだ。ちなみに中央ヨーロッパ時間の基準となる東経15度はフランスにかするどころか、ずっと東のドイツとポーランドの国境付近、チェコ、オーストリアなどを通る経線である。「そうまでしてフランスはイギリスに合わせたくなかったのか」と思いたくなるが、経緯はそう単純でもない。

グリニッジ子午線が国際的に本初子午線として採用されたのは、1884年に米国ワシントンで開催された国際子午線会議でのことだが、このときフランスは投票を棄権している。あくまでパリ標準時刻にこだわったのだ。しかし国際的に無線通信が普及するなど、独自の子午線に固執するわけにも行かなくなったため渋々グリニッジに合わせることとなった。標準時を「パリ標準時刻を9分21秒遅らせた時間」と定めた法律の文面に、当時のフランス人の態度がよく表れているように感じる(なおこの法律は1911年3月9日に施行され、1978年まで効力を持っていた)。

そう、一時はフランスも(一応)グリニッジ標準時刻に合わせていたのだ。ところが1940年にナチス・ドイツがフランスに侵攻し、占領地域でドイツ標準時間(現在の中央ヨーロッパ時間と同じ)を使い始めたのだ。1944年に連合国軍によってフランスは解放されたが、結局標準時間が元に戻ることはなく、現在に至っている。

なお、上記の説明では1916年以降断続的に採用されている、いわゆるサマータイムには触れていない。そしてこのサマータイムこそが、緯度の高さや標準時刻のずれ以上に日没時刻を遅らせているのだ。

真夜中に宵の明星、真夜中に上弦の月

一般に「サマータイム」とは、夏季(定義は様々)に時刻を標準より1時間進める制度のことである。第一次世界大戦中の1916年にドイツなどが初めて採用しており、フランスでも同年から始まった。第二次世界大戦後のフランスではしばらく使われていなかったが、石油危機を理由に1976年に再開された。こうした経緯からもわかるように、サマータイム最大の目的は生活時間帯を日照時間に合わせることによる省エネである。

その社会的な意義はさておき、個人的にはたいへん混乱させられた。緯度経度の問題と合わさることで日没時刻がひじょうに遅くなるので、4月の時点で8月でも外が明るい。日本と同じ感覚で、外が暗くなったから帰ろうと思ったら夜9時を過ぎていて夕食を買いそびれたこともある。夕方の空で水星が見ごろを迎えていたので、何時に観察すればよいか計算してみた結果が午後10時過ぎ。日本なら宵の明星・金星さえ沈む時間である…。なおその金星は、年によっては夜中の0時過ぎに沈むこともあるようだ。もはや宵の明星ではない。深夜に見える星では一番明るいから「夜半の明星」と呼ばれる木星の立場がなくなってしまう! さらに面食らったのが、午前0時過ぎに帰宅したときにふと空を見上げたら上弦の月が高々と昇っていたことである。日本の理科の教科書なら「上弦の月は正午に東から上り、日没のころに南中し、真夜中に西に沈みます」と書かれているところだが、フランスではどうなっているのだろう。一度調べてみたい。

当のフランス人達はどう思っているのかが気になり、何人かの友人に尋ねてみた。生まれたときからこの制度に従っているだけあって、私ほど強烈な違和感はないらしい。ただ、積極的に肯定する意見はほぼ皆無だった。そして間違いなく、深刻な問題を抱えている人々がいるーパリの人口の1割を占めるイスラム教徒だ。今年はラマダーン(いわゆる断食月)が夏至の直後に始まった。戒律によれば日没ーパリでは午後10時!ーまで水一滴たるとも口にすることはできない。今のところ気候が比較的涼しいからよいが(※注3)、それでもだいぶ難儀しているという印象を受ける。「夜中に上弦の月が見える」というのは彼らの断食に比べればささやかな問題かもしれない。

夏至の宴

夏至の日の午後8時半のようす

夏至の日の午後8時半。空は青空そのもので、聴衆も少なく祭りはまだこれからという感じがする。

午後11時になってようやく空が暗くなってきたようす

午後11時になってようやく空が暗くなってきた。しかし、それと反比例するように街は演奏家と観客の熱狂で騒がしくなるのであった

昼が一番長くなる夏至の日は、パリっ子たちのボルテージが最高潮に達する日でもあった。1980年代以来、毎年6月21日には音楽祭(Fete de la Musique)が開催されているのだ。ジャンルは不問、アマチュア・プロ問わず街中で演奏可能で、しかも全てのコンサートは無料であることが条件となっている。

私も友達に誘われてパリの中心部へ行ってみた。午後7時。ほとんど真昼と変わらぬ明るさで、あちこちに屋台は出ているがまだお祭本番という雰囲気ではない。ところどころでリハーサルをしている演奏家がいた。午後8時。バーの前の通りでブラスバンドが演奏を始めた。ようやく日差しが弱くなってきたが、まだまだ夜という感じがしない。午後10時、ようやく日没。しかしまだ空は明るい。午後11時、普段なら飲食店が閉まり始める時間だが、この日ばかりはどこも営業を続けていた。多くの店の前ではジャズやロックを中心に様々な音楽が演奏されていて、いつにも増してパリがにぎやかで明るい(そもそもまだ薄明が続いている)。日本では夏至にライトダウンを実施するイベントが増えているのとは対照的だ(あれ、そもそもサマータイムは何のために導入されたのだっけ?)。

深夜0時を回ってようやく空は暗くなったが、街のにぎやかさは全く深夜という感じがしない。陽気なサンバのメロディーと共に通りを練り歩く一団がいて、気がつくと私もそこに吸収されていた。お祭は一晩中続き、この夜は地下鉄も休まず運転を続けていたそうだ。いや、そもそもこの日は「晩」も「夜」も存在しなかったという表現の方が合っているのかもしれない。 ……見事なまでに星と関係ない話になってしまった。これはこれで楽しいのだが、天文ファンにとっては寂しくもある。しかし夏至を迎えたということは、これから夜は長くなる一方だ。冬は逆に星空をたっぷりと堪能できるのだから、それまでの辛抱である。


※注1:太陽が地平線下18度以内にある「天文薄明」を指す。

※注2:著者は星を見るようになってから南半球に行ったことがないのだが、赤道に近いシンガポールとインド最南端でそれぞれ見た星空は「日本と劇的に違う空」と呼ぶに十分だった。

※注3:これは7月初頭時点での感想。実際、暖炉に火をくべている家もあるほどの涼しさだった。ところが7月中旬になると30度を超える日が相次ぐようになった。

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《廣瀬匠氏プロフィール》

廣瀬 匠 静岡出身。夜空を眺めだしたのはヘール・ボップ彗星が発見されたころ。天文普及に関心を持ちアストロアーツに勤務、ウェブニュース編集などを担当。さらに歴史に目を向け、京都産業大学と京都大学でインド天文学史を学ぶ。同時期に星空案内人(通称「星のソムリエ」)の資格を取得。2014年1月、フランス・パリ第7大学へ。著書に『天文の世界史』など。

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