1957-8年、太陽活動が観測史上最大級の時期のオーロラ国内観測記録

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太陽活動が観測史上最大級だった1957年と1958年には、国内でもオーロラが見られた。当時の観測記録が再検証され、オーロラの規模が明らかとなった。

【2021年12月24日 名古屋大学宇宙地球環境研究所

太陽の活動は約11年周期で変動し、極大期には黒点が増えて表面での爆発現象が盛んになる。中でも1957年から58年にかけての極大期は、1610年からの観測史上最大規模のものだった。爆発で放出された物質が地球を直撃すると磁気嵐が起こり、通常よりも低い緯度でオーロラが見られるようになる。1957年9月と1958年2月には大規模な磁気嵐が発生し、特に後者は日本の広範囲で眼視観測できるオーロラを伴うものだったとされる。ただ、当時の観測記録はこれまで十分に把握されていなかった。

1610年~2019年の太陽活動
1610年~2019年の太陽活動。黒線は太陽黒点相対数、赤破線は太陽黒点群数で、太陽の黒点数に基づき太陽活動の活発さを表す指標。1957~1958年に太陽活動が過去4世紀で最大規模に達したことがわかる(提供:Silverman and Hayakawa, 2021、(黒点相対数)Clette and Lefèver, 2016、(太陽黒点群数)Svalgaard and Schatten, 2016)

1957~1958年はちょうど国際地球観測年でもあり、米ソの人工衛星を筆頭に、世界中が協力して地球科学のための観測を展開していた。その観測項目の一つがオーロラであり、日本も参加している。そこで、名古屋大学宇宙地球環境研究所の早川尚志さんたちの研究チームは、気象庁、国立天文台、東大木曽観測所のアーカイブから当時の記録を精査した。

1958年2月11日の磁気嵐に伴うオーロラについては、北海道静内町(現新ひだか町)で撮影された国際最古と思われるオーロラのカラー写真が見つかるとともに、南は山口県小郡町(現山口市)や広島県福山市における観測記録までもが明らかになった。新潟地方気象台ではオーロラの高度が50°くらいだと記されたスケッチが見つかった。これに基づけば、オーロラは従来考えられていたよりも、かなり赤道側に広がっていたことになる。

1958年2月11日に記録されたオーロラの写真とスケッチ
(左)1958年2月11日に北海道静内町で長谷川節也さんが撮影した、日本最古と思われるオーロラカラー写真(提供:東京大学木曽観測所)。(右)同日に新潟県新潟市船江町で記録されたオーロラのスケッチ(提供:新潟地方気象台)

これまで不明な点が多かった1957年9月13日の磁気嵐についても、多数のオーロラ記録が検討された。北海道網走市や稚内市における極めて詳細なスケッチや北海道森町の記録などから、こちらでもオーロラがかなり南まで広がっていたことが判明した。しかし当時の天気図は、本州東部や道東の天気が悪かったことを示している。そのため、磁気嵐に伴うオーロラの報告事例が少なかったのだと考えられる。

1957年9月13日に記録されたオーロラのスケッチ
1957年9月13日に北海道で記録されたオーロラのスケッチ。(左)稚内地方気象台の成田月昶さんが19時38分~20時09分に観測したオーロラ。(右)旭川天文台の堂本義雄さんが20時10分に観測したオーロラ(提供:国立天文台)

日本のような低緯度で見えるオーロラは、基本的に赤い。しかし当時のオーロラ観測記録の一部には、黄色、オレンジ、ピンク、紫など多用な色彩をとらえたものがあり、通常の磁気嵐よりもエネルギーの高い電子が日本上空へ降り込んでいたことが示唆される。

1957年と58年の観測は国立天文台の古畑正秋氏の指揮下で実現した。古畑氏はアマチュア天文活動の伝統が根付いている長野県諏訪地方の出身で、一般への天文教育普及活動にも熱心だった天文学者だ。同氏と多くのアマチュア天文家の結びつきのおかげで、多くの市民が観測に協力した。また、多くの資料が無事に保存されていた背景にも、天体写真の社会還元を目指した東京大学木曽観測所のカラー撮影プロジェクトのような活動がある。

太陽活動は現在上昇基調にあり、極大を迎える2025年前後は日本でもオーロラが見られる可能性がある。もし目撃できたならば、時刻やオーロラの高度、色彩といった情報を残せば、60年以上前の記録がそうであったように、将来の科学研究に貢献できるかもしれない。

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