ビザンツ帝国の日食記録から地球の自転速度変化をたどる

このエントリーをはてなブックマークに追加
ビザンツ帝国で観測された皆既日食の記録を精査することで、これまで手がかりが少なかった4~7世紀における地球の自転速度の変動が、従来より正確に復元された。

【2022年9月22日 筑波大学

地球の自転は少しずつ遅くなっているが、その変化は一定ではない。そこで、過去の地球の自転速度を正確に知るために活用されるのが、古い皆既日食の観測記録だ。地球上のどこで皆既日食が見られるかは自転速度によって変わるため、正確な観測地、時間、見え方が記録されていれば、そこから当時の地球の自転速度が計算できる。

しかし、古い時代になるほど観測記録が残る場所は偏りがちで、記録の数も少なくなりがちだ。また、記録の信憑性という問題もある。西暦4世紀から7世紀にかけては、東地中海沿岸で栄えたビザンツ(東ローマ)帝国で皆既日食が観測されたことが知られているものの、その記録は幾重もの引用や翻訳を経て伝わっているため、信頼性の評価が難しかった。そのためビザンツ帝国の記録はこれまであまり計算に使われておらず、4~7世紀の地球の自転速度については不確かさが残っていた。

名古屋大学高等研究院の早川尚志さんたちの研究チームは、ビザンツ帝国の皆既日食記録を調査し、その内容を歴史学的および文献献学的に検証した。その結果、ギリシア語や古代エチオピア語(ゲエズ語)などの史料から、一定の信頼性を有する皆既日食記録5件(346年、418年、484年、601年、693年)を見つけ出した。

『年代記』中の皆既日食の記述
ニキウのヨハネによる『年代記』の手書き写本(British Library, Or 818, fol. 92r)の中で、601年3月10日にアンティオキア(現トルコ)で観測されたと考えられる皆既日食の記述が記載されたページ(提供:筑波大学リリース)

検証の結果は従来の断片的な日食・掩蔽記録をおおむね支持するもので、4~7世紀の地球自転速度の精度を向上させることに成功した。これにより、地球の自転速度の減少は、4世紀から5世紀初めにかけてはごく緩やかになり、5世紀中ごろから7世紀にかけて比較的急ペースになっていた可能性が示唆された。

西暦4~7世紀ごろの地球自転速度の変化
西暦4~7世紀ごろの地球自転速度の変化。縦軸は不変のペースで刻まれる時刻(地球時)と地球の自転を元に定義した時刻(世界時)の差ΔT、横軸は西暦年。自転速度の変化により過去ほどΔTが大きく、斜めの黒線は従来の研究によるその推定値。当時の観測記録から算出されるΔTの範囲も示されており、赤が今回追加されたデータ(提供:Hayakawa, Murata, and Soma 2022)

今回の成果は、他の地域で同時期に観測された日食などの評価にも用いることができる。 たとえば、『日本書紀』や『隋書』に記されている628年の皆既日食や616年の金環日食の記録は、従来その信憑性が疑問視されていたが、今回検討された601年のアンティオキアにおける皆既日食の記録と符合することが明らかになった。

従来の研究では、4~7世紀前後には地球の自転速度はほぼ単調減少していたとされていたが、今回の成果によれば再考の余地がある。過去における地球の自転速度の長期変動を正確に求めることは、海面変動や、地球内部のマントルと外殻の相互作用など、長期的な地球環境の変動の理解にもつながる。また、天文現象と結び付けられた歴史的な事件や、そうした天文現象を記録として残した社会の特徴などについての知見も得られると期待される。

関連記事