日本天文遺産に国内初のプラネタリウムと宇宙線検出器
【2023年3月14日 日本天文学会(1)/(2)/理化学研究所】
日本天文学会では、歴史的に貴重な天文学・暦学関連の史跡や文献などの保存、普及、活用を図る目的で、毎年「日本天文遺産」を認定している。第5回(2022年度)の遺産には、1937年に日本で最初に設置された「大阪市立電気科学館プラネタリウム」と、日本物理学の父と呼ばれる仁科芳雄博士の理化学研究所研究室で開発された宇宙線検出器「仁科型電離箱」が選ばれた。
大阪市立電気科学館プラネタリウム
100年前の1923年、独・カールツァイス社の技師バウワースフェルトらによって世界初の光学式プラネタリウムが開発された。1925年には地球上のあらゆる地点から見た星空を投影できるカールツァイスII型モデルが完成したが、その第25号機にして初めて日本に設置されたのが「大阪市立電気科学館プラネタリウム」(以降 電気科学館プラネタリウム)だ。
大阪市立電気科学館は1937年3月13日に開館し、1989年に閉館するまでの52年間に延べ1100万人がプラネタリウムを観賞した。作家の織田作之助や漫画家の手塚治虫など、著名人のファンも多かった。
電気科学館プラネタリウムを皮切りに、国内各地にプラネタリウムが設置されるようになった。また、後に国産プラネタリウムの開発においても参考にされるなど、電気科学館プラネタリウムの影響は大きい。第2次世界大戦の戦火を免れた電気科学館プラネタリウムは、戦後の科学ブームにも応えて、天文の教育普及に大きく貢献した。
仁科型電離箱
仁科型電離箱は、理化学研究所の仁科芳雄研究室で開発された宇宙線検出器で、1935年から1941年にかけて計5台が製作された。当時は宇宙から降り注ぐ放射線の構成や、地球の磁場や太陽活動との関係がよくわかっていなかったため、世界的に活発に観測活動が始まっていた。
宇宙線の測定は、装置に封入されたガスの中を宇宙線が通過したときに生じる電流を検出することで実現した。厚さ10cmの鉛で全方向を遮蔽するなど、ノイズを低減するための工夫が凝らされている。
当初、仁科型電離箱による観測は樺太、北海道、東京、沖縄、パラオで実施される予定だったが、戦時下のため、1台は当時東京都文京区駒込にあった理化学研究所に、残る4台は東京都港区麻布台にあった東京天文台の分室に設置された。その後、乗鞍や札幌などに移されながら、緯度・経度・高度の異なる場所で宇宙線強度を連続観測するという先進的な研究に使われた。
1942年3月4日には、数時間にわたる宇宙線の異常増加を観測し、のちにそれが太陽フレア起源だったことが判明している。以降、1990年代まで使用された仁科型電離箱は、宇宙線の連続観測のすぐれたデータを40年以上提供し続けて、宇宙線研究に大きく貢献した。
現存する複数台のうち、理化学研究所・仁科芳雄記念室(埼玉県和光市)で唯一保存公開されている2号機が、仁科型電離箱の代表として日本天文遺産に認定された。他、1号機は東京大学宇宙線研究所・乗鞍観測所、4号機は高知大学、5号機は国立科学博物館でそれぞれ保管されていて、3号機は現在香港で所在の確認中である。
天文教育普及賞
日本天文遺産と同じく2022年度で5回目を迎えた天文教育普及賞は、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の的川泰宣名誉教授に授与された。
的川さんはM(ミュー)ロケットの改良や数々の科学衛星の誕生に携わった宇宙工学の第一人者であるとともに、宇宙科学の語り部としても活躍してきた。長年にわたる執筆活動や講演活動を通じて、宇宙開発の挑戦を一般向けにわかりやすく紹介し、子供たちのみならず大人にも大きな夢を与える「宇宙教育の父」とも称される。
JAXAの宇宙教育センターの設立も先導し、初代センター長を務めた。現在は横浜市にある「はまぎん こども宇宙科学館」の館長として活動を続けている。今回、その宇宙教育の先駆的な活動、長年にわたる広範な教育普及活動の功績に対して、天文教育普及賞が授与された。
関連記事
- 2024/03/12 日本天文遺産に「レプソルド子午儀」「星間塵合成実験装置」「倉敷天文台」
- 2022/03/04 第4回天文遺産に金星太陽面通過観測地と太陽黒点スケッチ群
- 2021/03/24 日本天文遺産に仙台藩天文学器機など3件認定
- 2020/09/15 日本天文遺産にキトラ古墳天井壁画など3件認定
- 2019/03/20 日本天文遺産に「明月記」と福島県「会津日新館天文台跡」を認定
- 2012/02/29 宇宙教育の父・的川さん、「はまぎん こども宇宙科学館」館長に