天文との出会い
第7回 「デジタル化の波」
Writer:中川 昇

《中川昇プロフィール》

1962年東京生まれ。46才。小学3年生で天文に目覚め、以来天文一筋37年。ビクセン、アトム、トミーと望遠鏡関連の業務に従事。現在、株式会社トミーテックボーグ担当責任者。千葉天体写真協会会長、ちばサイエンスの会会員、鴨川天体観測所メンバー、奈良市観光大使。

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今回は天体写真の世界にも押し寄せたデジタル化の波の話です。まずは、デジスコブームのお話です。そもそもデジスコとは何でしょうか?それは「デジタルカメラとスコープ(望遠鏡)を組み合わせて、超望遠撮影を楽しむ」という方法のことで、早い話が昔からあった「コリメート法」なわけです。世界初のデジタルカメラは1995年発売の「カシオQV10」と言われていますが、天体の世界にデジスコ旋風を巻き起こしたのは何といっても1999年3月発売の「ニコンのクールピクスE950」でした。

たまたま、レンズ径が小さくケラレが少なかったこと、スイバル式という液晶画面が回転できる機能が実に天体向きということもあり、一気に普及しました。シャッターブレは皆無、軽いし、良く写るし、何百枚でも撮影できるし、ランニングコストは安いしで、特に月・惑星の撮影にはうってつけのカメラの登場でした。一方、そのころの野鳥写真の世界では、フィルムカメラ+高価な超望遠カメラレンズによる撮影が常識で、相当な投資と体力と技術が必要な世界でした。そこにコンパクトデジタルカメラが普及しだして、いち早くコリメート法の要領で野鳥を撮り始めたマニアが二人いました。一人は現デジスコドットコムの代表、たーぼさんこと石丸さん、もう一人は私の25年来の友人、近さんです。

当時の近さんの機材 BORG76ED迷彩仕様

近さんは私と同じ千葉県の八千代市在住で、連載の第1回で触れた八千代天文同好会の初期メンバーでもあります。彼とは一緒に遠征撮影に行ったり、地元で月面撮影を楽しんだり、私がアトムに居たころは常連さんとして、またボーグの立ち上げの時にもお手伝いをいただいたりと公私共に大変お世話になった人です。その近さんが、天体写真のノウハウを生かして、手持ちのBORG76ED+ニコンE800=デジボーグ=で素晴らしい野鳥の画像を撮影し、2000年からホームページで発表したのです。

デジスコによる野鳥の画像(撮影/近勝之様 機材/BORG76ED+LV20+E800)

反響は大きく、なぜこんなに良く撮れるのか?という問い合わせが殺到したそうです。同時期に、先の石丸さんが他の機材でやはり素晴らしくシャープな画像を発表しており、その輪が広がって、石丸さんは脱サラしてデジスコ専門の会社、デジスコドットコムを2002年に立ち上げ、ついには2004年〜の野鳥のデジスコ大ブームにつながったというわけです。近さんはその後、デジスコドットコムの店長となり、石丸さんとともにデジスコの普及に努めています。

デジスコによる月の画像(機材/45EDII+1.4倍+LV25+E4300)

こんなわけで、ボーグもデジスコブームに一役買っていたのです。デジスコブームは2004から2006年まで続きました。今はブームは一段落しましたが、天文ファンが野鳥ファンへ鞍替えするなど思わぬ効果?を生みました。天文ファンの高齢化、大量定年退職時代を背景に、今後も昼間に楽しめる健康的な趣味として野鳥デジスコ市場は広がるものと推測されます。

M20の画像(機材/BORG77EDII金属鏡筒と101ED対物レンズ)

さて、デジタル化の波の第2弾はデジタル一眼レフカメラの急速な普及です。私がデジタル一眼レフカメラの凄さを実感したのは、BORG125EDF8+EOS10Dで撮影されたM20とM27の画像を見たときです。2003年の初夏のことでした。わずか7〜8分の露出で散光星雲の淡いところまで実に滑らかに描写されていました。この画像が某雑誌に入選したときに、採用側もデジタルだとは分からずにフィルムカメラのEOS10と勘違いしてしまったというほどのインパクトでした。このころを境にして、今まで中判フィルムで高画質を競っていた流れが一気に変わり、天体仕様へのボディ改造サービスや2005年のEOS20Daの登場などが追い風となり、あっという前に天体写真の世界もデジタル中心へとシフトしていったのです。 メーカーとして困ったのは、元々フィルム用に設計した望遠鏡がデジタルでは通用しないケースが多々出てきてしまったことです。青ニジミが多く出て困るというご意見や苦情が寄せられるようになりました。レンズの根本的な設計変更をしなくてはいけないと危機感を感じていたところに、幸か不幸か環境問題の点から動かざるを得ない状況になったのです。

それは、76、76ED、100ED、125EDというボーグのメインレンズがエコガラス化の波に襲われたことです。ガラスの中に鉛が含まれているレンズが環境面から続々と生産中止に追い込まれていったのです。こうなると、ボーグの生産を継続するには、鉛を使わない、いわゆるエコガラスを使用するしかなくなりました。エコガラスに変更するにあたってのデメリットは大きく分けて3つありました。一つは硝材自体が高くなる点、次に設計も新規、皿や冶工具も新規、試作も新規に必要になるので、莫大な投資が必要になる点、残る一つは、非エコレンズと比べると硝材の選択肢が少なくなったため、設計の自由度が低く、なかなか良い設計がしにくくなった点です。ただ、逆にいうと、このことはボーグにとっては追い風でもありました。なぜならば、ボーグは宮崎氏と藤井光学という業界最強のレンズ設計スタッフをもっていたので、対物レンズはもとより、ボーグのレデューサーやフラットナーなどの補正レンズの優秀さが世に知れ渡るきっかけにもなったのです。これにより、対物レンズは他社製だが、補正レンズはボーグ製という組み合わせが急増することになりました。

BORG77EDII金属鏡筒と101ED対物レンズ

いずれにしても、2003年に76を77に、100EDを101EDに、2004年に76EDを77EDに、というように徐々にボーグのラインナップをエコガラスに切り替えていきました。ただ、125EDと150EDは投資と回収のバランスを考えたときに、回収が困難と判断し、生産中止としました。ただ、その後も市場からは再販の要望の声が絶え間なくありましたので、125EDに関しては、SDガラスを採用した125SDを発売することを決定しました。幸い試作機のテスト結果もよく、期待していただける製品です。本製品に関しては2007年末の発売を目指しています。後日詳細を本連載でもご紹介させていただければと存じます。 次回は、最新のボーグの製品の紹介、ボーグ製品開発のノウハウ公開、最近の天文市場について等の話題について触れてみたいと思います。

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