本誌各号の編集後記を掲載。
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■2001年4月先月号で、五島プラネタリウムの私的な思い出について書かせていただいたが、そのせいかさまざまな知人、友人から連絡をいただいた。結果として、先月はちょっとした同窓会月間(ってほど大袈裟じゃないが)になってしまった。珈琲を飲みながら、食事をしながら、そしてビールを酌み交わしながら、学生時代や、そのときどきの想い出話をしていても、どうしても五島プラネの話へと行き着いてしまうのだ。 東京近郊に住む友人のほとんどは、何が何でも最終日の投影を見ておきたいという。おそらく五島プラネに愛着のある人たちは、みんなそう考えているに違いない。 そんなとき、九州在住の友人から1本の電話をもらったのだが…その用件は、 彼とは高校時代を共に地学天文部で過ごした。学校の行き帰りに渋谷をターミナルとしていただけに、よく誘いあって五島プラネを訪れた。九州の大学へと進学した彼は、そのまま九州の企業に就職し、所帯をもった。以来、年賀状には「九州は星がよく見えるぞ」と毎年書かれている。 しかし、残念ながら館内は撮影禁止で、ビデオはおろか写真撮影だって許可されるはずない。 そんなある日、編集部内で「インターネットでライブ中継できないか?」というアイデアが出された。それなら、全国の見たくても見に来れない多くの人たちに、最終日の投影を生で届けることができる。早速、川口編集員と共に五島プラネタリウムに向かい企画主旨を説明、理事会の承認をもって正式に企画がスタートした。 解決すべき問題は山とあった。丸天井に投影された星は果たしてビデオで撮影できるのか?ライブ映像をどう配信するのか? 最初の問題は、ドームにI・I(イメージ・インテンシファイヤー)を持ち込むことで解決した。かなりの雰囲気を伝えられると思う。残る問題も、インパクに「ぐんま星空と宇宙パビリオン」を出展中の群馬県と、Jストリームの協力によってクリア。さらに、当日の投影を収録したビデオの制作も決まった(詳細は本誌107ページを参照)。 アナログの良さを活かし、生解説を身上としてきた五島プラネの最期を、デジタルで送りだす…これも時代の流れなのだろうか? さて、ダイニックアストロパーク天究館の創立者で、変光星・流星の観測者でもあった坂部三次郎氏が2月3日に77歳で永眠された。一度だけお会いする機会を得たが、氏の天文に対する情熱と後輩への思い遣りにいたく感動した覚えがある。安らかに…合掌
編集長 大熊正美
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