本誌各号の編集後記を掲載。
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■2003年9月「ねぇ、あのときのスケッチ返してよ」……どうやら妻は、15年前の大接近のときのことを思い出したようだ。当時はじつはふたりとも、同じ高校に通う2年生。地学部の部長だった私は最接近直後の晴れた夜、家に地学部員の有志を集めて望遠鏡を火星に向けた。記録することが大事であるとか何とか言って、みんなに紙と鉛筆を渡してスケッチをすすめ、そのスケッチを、どうやらその場で私が預かった(妻に言わせれば部長の権力で没収した)らしいのだ。 「さ〜て、どこにしまったかなぁ」 探し物は地質調査とよく似た作業だ。資料の山は地層と同じで、横に掘ると同年代のものがいろいろ見つかる。高校の文化祭で作った火星軌道模型の写真や、ワラ半紙を綴じた手作りの小冊子を発掘しては、あまりの懐かしさについつい見入ってしまうのだが、その冊子には「次回の大接近は2003年。その頃には有人宇宙船が火星に向かっているかも知れません」と書いてあった。考えてみればこの15年、私は高校生から大人になり、まさか妻になろうなどとは思いもよらなかった人と一緒になって、今や子どももいるという変貌を遂げたのに、有人探査計画のほうは当時とあまり変わっていない。この調子だと人類が火星に旅立つのは息子の世代になるだろう。 15年前の火星の特番を録画したビデオテープも発掘した。再生したら砂嵐が若干乗ってはいるけれどちゃんと映って、これまたついつい見てしまう。1988年といえばハッブル宇宙望遠鏡もマーズ・パスファインダーもない時代。番組中の火星の地表はマリナーかバイキングのものばかりだが、80年代の火星画像もなかなか捨てたものではない。さらにビデオテープのほかにも、望遠鏡をやめた某光学メーカー製の火星ポスターとか、某学者が大学生時代に書いた手書きの文章など、火星隕石級に珍しい(?)ものもいくつか発見してしまった。これら発掘品の実用性はまったくゼロだが、何となくいいものを再発見した気分である。 さて、肝心のスケッチはというと、妻曰く、決して上手く描けたわけではないけれど、大シルチスなどその日の火星の模様ははっきりと覚えているという。スケッチというのはおそらく写真よりも忘れにくい記録、いや記憶手段なのだろう。
(大川)
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