本誌各号の編集後記を掲載。
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■2001年5月「暗黒の丸天井のてっぺんから地平線に向かって、降るように星が姿を現した瞬間、背筋がゾクッとした」とは川村Cマンの感想だ。3月3日のリニューアルオープンを前に、2日に行われた横浜こども科学館の新型プラネのお披露目会でのことである。最新型投影機の星像はとても素晴しいものだった。明るい星から暗い星まで、星空の表現は「お見事!」と言わざるを得ない。ドームに投影された星空は肉眼で見る限りにおいては、限りなく現実の星空に近く、さすがに新世紀の星空シミュレータという感じ。 実際の星空を見上げて「プラネタリウムみたいだね」という笑い話があるが、今の日本にこれだけの星空が見える場所があるのか?と考えたら笑えなくなってしまった。 今の子供たちは、プラネタリウムを見た後に、「今度は本物の星空を見に行きたい」と思ってくれるのだろうか? そして、そのときに、見せてあげられる日本の星空はプラネタリウムを超えられるのだろうか? 1週間後の11日、五島プラネタリウムの最終日をインターネットで中継した。多くの人に見ていただいて感謝。一部つながりにくかった方もいらしたようで申し訳ないが、無事にすんでホッとしているというのが本音だ。 五島プラネタリウムの星空を見ていて気付いた。ここの星はプラネタリウムの星なのだ。木星に縞があるからでも、土星に環があるからでもなく、星そのものがプラネタリウムの星であり、間違っても本物の星空と錯覚することはない。投影が終わったら「さあ、今度は本物の星を見に行こう」といえる星空だったのだ。そのことに妙な安心感を覚えていたのは私だけなのだろうか? さて、日本のX線天文学を育て上げた宇宙科学研究所名誉教授小田稔氏が3月1日に心不全のため都内の病院で亡くなられた。 北海道札幌市に生まれ。大阪帝国大を卒業後、マサチューセッツ工科大学教授、東大宇宙航空研究所教授、宇宙科学研究所所長などを歴任し、1993年に文化勲章、1997年には勲一等瑞宝章を授賞されている。享年78歳。 X線源の位置を精測できる「すだれコリメーター」を発明、これを初めて搭載した日本初のX線天文衛星「はくちょう」は、1979年に打ち上げられ、日本のX線天文学を世界のトップレベルへと一気に押し上げ、「てんま」「ぎんが」「あすか」へと続く日本のX線天文学の礎を築いた功績は大きい。 なお、1993年から数々の観測成果をあげてきた「あすか」が、3月2日14時21分、まるで氏の後を追うかのように大気圏に再突入して消滅、その生涯を終えた。 心よりお悔やみ申し上げます。
編集長 大熊正美
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